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    どろんこ道がボクたちを鍛えた−6
  野球部創部の頃●渡辺松雄(1期生)
  昭和37年(1962年)4月に葛商全日制第1期生として入学した私は、高校に入ったら野球部に入ることを心に決めていた。理由は、ただ硬式ボールで野球してみたいという単純なあこがれだけだった。
  入学当時は校舎がまだ全部でき上がっておらず、当然、野球に必要なバックネットも部室もない。学校の周りは畑と田んぼだけ。塀もなく、校庭だけはやけに広かった。「野球するには十分だな」と感じたことを思い出す。
  野球部に入部した生徒は30人ぐらいはいたかと思うが、40年も前のことで、記憶が定かではない。監督は須田宏明先生で、私はなんとなく「怖そうだな」という印象があったことを覚えている。
  野球部で最初にしたことは、グランドになる場所の小石拾いだった。とにかく小石が多く閉口した。それから内野の整備、ピッチャーマウンドづくりと、野球ができるグランドを部員全員でつくり上げた。
  先輩がいないので、何もかも私たちがやるしかなかった。部活費の予算が決まり、バット、ボールなどの用具を購入したのは6月頃ではなかったろうか。
  野球の用具で一番印象に深いのは竹バットである。現在高校野球では金属バットしか使っていないが、私たちの時代は木製のバットを使用した。ただ、硬式用の木製バットは値段も高く、打ち方が悪いと、すぐに折れてしまう。私たちのように硬式野球に初めて接した者が、バットを折らないようにバッティングするのは不可能だった。
  そこで監督は竹バットを練習用に使わせることにした。竹バットという存在は野球部に入って初めて知った。文字通り竹を張り合わせて削り、バットにしたもので、衝撃に強く折れにくい。確かにバットの折れる本数は減った。
  しかし木製バットで打った時の感触とは違い、あまり良い感触ではなかった。金属バットが普及した現在では竹バットが練習用に使われることはないだろうが、野球部創部の頃の懐かしい思い出だ。
  定時制の関係で、練習は6時で終了した。部活が終わり、帰りの寄り道は禁止されていたが、先生に見つからないように、気の合った仲間5〜6人と買い食いしたことも楽しい思い出である。あこがれだけで入った野球部で3年間野球を続けることができたのは、良い監督と仲間に恵まれたからだと感謝している。

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