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    変わらない絆(きずな)、結んだ−クラブ活動−2
  卒業後も体育館へ−女子バスケット部OG会●杉渕明子(元本校教諭、保健体育、足立東高校)
  
整列!!OG会
16年前に初めて葛商の門をくぐった時のことを今でもはっきり覚えています。放課後で、あちこちで部活動の声が響いていました。テニス部の生徒に「校長室はどこですか」と訪ねると、とてもていねいに案内してくれました。広くて明るい学校だと好印象を持ち、以来、長い期間お世話になりました。
  着任して間もなく、私は女子バスケットボール部顧問をさせていただきました。ずっと指導されていた体育科の相楽俊幸先生には本当に驚くような戦術や練習法を教わり、いっしょに合宿に連れていっていただき、貴重な時間を過ごしました。
  女子バスケット部の伝統や戦績は輝かしいものがありますが、何よりすばらしいと思うのは、毎年OG会が開催されることです。幹事は毎年交代で、どこかの代が必ず引き継いでくれます。毎回趣向を凝らした楽しいイベントになります。
  毎年たくさんのOGが参加し、それぞれお子さんを連れてきて、年々にぎやかになっていくのです。前半はバスケットの紅白ゲームがあります。大勢のOGが子どもをベンチに座らせて、バッシュを履き、ゼッケンをつけ、ボールを追って走り回ります。皆コートに入ると自然に体が反応してしまい、現役生も圧倒されるような激しい当たりがあったり、ミラクルシュートがあります。
  毎年このようなイベントが行えるとは、なんとステキなことでしょう。私が葛商で何よりすばらしいと感じるのは卒業後何年たっても変わらない絆です。私自身は24期生からしか実際には接しておりませんが、にもかかわらず、18、19期生などとも声をかけ合い、一緒にコートに入ったり、おしゃべりしたりできてしまいます。大変気持ち良く、また、今の現役生も、面識のないOGや私たちとまったく違和感なく、笑顔で楽しいひとときを過ごせます。これも葛商のバスケット部に受け継がれた気質なのでしょう。

  簿記コンクールで都大会優勝●加藤哲次(元本校教諭、商業、向島商業高校)
  
平成12年に簿記コンクール、プログラム競技大会全国大会に出場した際、京成高砂駅に掲げられた横断幕(同窓会寄与)
私は昭和63年(1988年)に新規採用として着任し、平成10年(1998年)3月まで丸10年間葛飾商業にお世話になりました。葛商の歴史のちょうど4分の1だけ、一員とさせていただいたことになります。28期生と31期生の担任をしました。それぞれに思い入れがあり、とても懐かしく思います。今でもたまに会ったり、ハガキに近況報告などを添えてくれたり。結婚式などの晴れ姿に、たいへんに感動します。卒業後も元気な姿がとてもうれしく思います。
  クラブでは水泳部、ソフト部、女子サッカー部、簿記部の顧問をさせていただきました。水泳部では夏休みには朝から夕方までプール。合宿、大会。夏休みは水泳部とともに過ごしました。ソフト部、女子サッカー部でもいろいろな思い出をいただきました。
  そして簿記部。簿記部として確立できたのは最後の3年間ほどですが、最高の思い出を残してくれました。
  簿記コンクールの担当をまかされてから4年目に初めて都大会の団体で入賞し、個人で全国大会に出場することができました。あと2点で団体でも全国大会というところまで行きました。31期生、そして自分のクラスの生徒ばかりでしたが、2年生のときから検定に向け、そしてコンクールに向け、頑張れたことがとてもうれしかったし、芝商業をはじめナンバースクールにも十分対抗できる、やればできると感じられました。
  そして2年生からではなく、1年生から頑張ることができれば、もっとよい結果になることを確信し、翌年入学した34期生では簿記部として取り組むことにしたのです。幸いにも4人のメンバーで3年間活動し、彼女たちが3年生のとき、都大会優勝、全国大会出場という輝かしい成績を収めました。彼女たちの頑張り、そしてそれが優勝という形のある結果に実り、大きな感動をおぼえました。その後2度目の優勝をされ、私は現任校に異動したあとでしたが、とてもうれしく思いました。
  もうひとつ、球技大会も印象的でした。着任1年目に企画委員となってから異動するまでの10年間、球技大会の企画運営に携わることができました。あの広いグランドに13面のバレーボールコートを設置し、生徒も教員も一緒になって、いっせいに行いました。
  壮観であり、至るところでわき上がる歓声。葛商ならではの行事であり、ずっと続いてくれることを願います。梅雨時の行事のため雨に悩まされることもあり、雨の中、強行したこともありました。それでも一生懸命楽しもうと頑張る生徒たちの姿に感動したものです。

  誇りを持って取り組んでいた●花香満(19期生、現教諭、商業)
  在校当時は全体的に活気がありました。生徒は皆、何らかの部に入っていましたし、学校行事にも一生懸命でした。体育祭、文化祭、球技大会。文化祭は2日あり、最終日の後夜祭で大いに盛り上がりました。キャンプファイヤーをたき、その周りでフォークダンスを踊ってね。
  部活動はバレーボール部だったのですが、男子が6人そろわず、大会にはやむなく、野球部やサッカー部から「助っ人」を頼んで出場していました。1回戦負けばかりでしたが、最後の夏の大会で勝った時は感激しました。顧問の土屋実先生(英語)と握手を交わしたことが思い出です。(談)

  野球部、都大会ベスト16!●宮倉勇(19期生、野球部OB、競輪選手)
  
神宮第2球場 高校野球東京都予選大会
野球に打ち込んだ3年間でした。小山重光先生(理科)と半沢孝明先生(商業)のご指導のもと、毎日暗くなるまでグラウンドを走り回っていました。練習はとにかく厳しかったけれど、それだけに結束力のあるチームでした。
  私はセカンドを守り、打順は4番。ホームランを打って新聞にも載りました。3年生の夏の大会のベスト16が最高でしたね。
  ただ、あまり野球にばかり、のめり込んでいたので、勉強の方はおろそかになってしまって。「赤点」を取ってしまい、担任の牛尾克己先生(商業)に「部活やってる場合じゃないぞ」と注意されました。それで、補習授業に参加させられまして、職員室でリーダー(英文解釈)を勉強しました。そのお陰で何とか進級できました。
  行事で思い出深いのは、やはり文化祭です。クラスで映画をつくりました。ビデオカメラが一般的ではない頃のことで、8ミリフィルムでつくりました。野球をテーマにした青春篇だったと記憶しています。
  クラス全員が必ず何らかの役で出演する趣向で、私は野球部のキャッチャー役でした。「好きだったんだよ−」なんて、恥ずかしいセリフを叫ばされたことを覚えています。完成したのが文化祭の前日。ギリギリで間に合っただけに、達成感もひとしおでした。(談)

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