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    検定合格率は都内でもトップクラス3
  検定拭験前には連日補習が●佐藤友規子(35期生)
  やはり一番忘れらないのは検定試験です。商業高校ということから、他の高校に比べると、圧倒的に検定が多く、検定の勉強に苦労しなかった人はいなかったと思います。
  苦労していたのは生徒ばかりではありません。たとえ出来が悪くても見捨てることなく、先生方は熱心に教えてくれました。検定試験の目前になると、毎日のように放課後補習があります。完全に理解しないと帰してもらえず、帰宅が遅くなったことも、しばしばありました。早く帰れず、先生を嫌いになりそうになったこともありました。
  でも、一番帰りたかったのは先生だったのではないかと思います。検定試験の当日、緊張の中にも自信を持って受けられたのも、すべて先生のおかげでした。
  私が葛飾商業を卒業して、一番誇りに思うのは本当に良い先生方に出会えたことです。どんなときも、生徒をまっすぐに受けとめて接してくれたこと、生徒と先生の間に1本の線が引かれてしまうような関係ではなく、先生と生徒が一体となって何ごとにも取り組みました。
  文化祭。先生も生徒の輪の中で一緒に、がんばってくれました。楽しんでいたのは生徒たちだけでなく、先生方もバンドを結成してコンサートなどもありました。
  体育祭。学年対抗リレーで担任の先生が生徒たちを楽しませるため、仮装して走っていた姿。みんなで涙がでるほど大笑いしました。
  下町のそばにある母校。いつまでも、人情に厚い、下町特有の温かい母校であってほしいと思います。

  「入口」「中身」「出口」●柘植章宣(元本校教頭)
  私が葛飾商業に勤務したのは平成9年(1997年)4月から12年(2000年)3月までの3年間である。始業式で初めて生徒諸君に接したときから、「自由・責任・勇気・和」の校是のもとで、教育目標に沿った良き校風の創造を全教職員が一丸となって取り組んでいることを目の当たりに知らされた。
  校風は目に見えないことが多いとよくいわれるが、生徒を見、教師を見、校舎を見ると良くわかる。さらには保護者や卒業生を見ていくと、その学校の果たしてきた教育方針が非常によく伺い知れる。
  どの教師からも葛商を活性化しようとする気構えが感じられ、生徒の生き方やあり方の問題を真剣に考え、生徒指導に当たっていた。その結果、生徒・保護者・教師の信頼関係がしっかりと確立され、近隣住民からも良い評価をいただいていた。
  当時、学校の活性化には「入口」「中身」「出口」の3面からの努力が欠かせないと、まずやる気のある生徒を集めようと、1人ひとりの教師が近隣の中学校を訪問し、葛商をPRして歩いていた。2学期には9、10、12月の3回、中学校を招いて体験入学を行った。
  私も負けじとばかりに中学校を訪ねた。当時、葛商生の72%が自転車通学だったので、いつも自転車か徒歩で中学校に行き、体育館に集まった中学3年生とその保護者に「今日はこの学校まで自転車(徒歩)で何分で来ました」といってから、葛商の説明に入った。
  「中身」の問題にしても、ひとたび受け入れた生徒を途中で挫折させることなく、全員を卒業させるべく指導に余念がなかったことには今でも頭が下がる思いである。
  自習時間には必ず教員が補講担当者として50分間教室で指導していた。授業時間中、教室を出て校内をうろうろする生徒もおらず、落ちついた雰囲気のもとで学習することができた。
  「出口」の面からは進路指導を充実させようと、全教職員が一丸となって努力していた。特に進路指導部の教員は企業訪問して進路の開拓に懸命になっていた。このような努力の成果が実ったのか、2次募集も実施しないで済み、中途退学者も減少した。
  校門近くに立っているケヤキの大樹は、今日も葛商のますますの発展と葛商生のさらなる成長を願って元気づけてくれている。葛飾商業に奉職できたことに誇りを持つとともに、感謝の気持ちでいっぱいである。「葛飾商業、永遠なれ」と祈らずにはいられない。

  時代変化への対応●森井恒雄(葛翔会会長)
  
40周年記念祝賀会でユーモラスな「閉式の辞」を述べる森井会長
葛翔会は諸先輩から継承しただけですが、年を越すたびに会もドライになる傾向があるようです。時代の変化は顕著で、10年前は古墳時代、40年前は化石時代といっていいほどです。
  ソロバン、タイプ、ガリバン、簿記などを習ってきましたが、現在では通用しません。簿記その他、国際会計基準をとることといわれて、おしまい。いま習っているワープロ、パソコン諸々もなくなるでしょう。電話でさえ、先行きは少数になるはずです。
  吉田満氏が書いた『戦艦大和』には大和の乗組員自身が巨艦が無力であることを認識していたにもかかわらず、海軍の基本方針を変えることができなかったとあります。個人の認識、能力の問題ではなく、組織の意思決定の問題なのです。乗員たちは最高水準の戦闘貝であったが、指導者の誤った判断によって不適切な条件下に置かれ、有為な多くの人々が犠牲になりました。艦の沈没に際して、彼らの無念はいかばかりであったろうと書き綴っています。
  ここで考えさせられるのは、大きな組織下では先を見ることが、できないことです。いままでは微分積分をやっていれば仕事になった。これからは通用しません。「日本の情け心に則って頑張れ」では、仕事も生活も成立しないでしょう。先を良く見て、リスクを取りながら、創造することだけが幸せを獲得できる条件です。
  学校でも会社でもこれから先、生き残ることはかなり難しいことと思います。大きな会社も利益が出ないし、いろいろな不祥事も跡を絶ちません。これは組織に問題があります。
  学校も会社も、小さくゼミ的に先行のテーマに取り組み、リスクを見据えて勉強することが望ましい。今後、皆さんと学校が50年、60年を形骸的に迎えるのではなく、意義あるかたちで迎えられることを、お祈り致します。

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