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    君たちが伝統をつくれ−3
  一女生徒の涙●瀬川順三(元本校教諭、商業)
  何かと慌ただしい3学期の職員室にNさんが真剣な顔で入ってきました。
  「先生、校内選考に合格しました」といい終わると同時に、両眼に光るものがありました。
  当時(1期生から15期生頃まで)は日本経済が生産、商業、金融など全域にわたって好況、追い風の時代で、求人も各方面から多く、生徒としては十分な選択の幅がある恵まれたものでした。
  そのような状況に、本番でない校内選考の結果に流したNさんの涙には胸をつかれました。就職に対しての一途な思いの表れでしょう。「創学時代」の生徒諸君が新しいものを育て、揺るぎない道をつくろうとする純真さと信念が見られます。
  40年前、私が校舎の工事現場を見たときは基礎工事の段階でした。
  当時コンクリート建ての工法として正規の工法だったのかどうかわかりませんが、打ち込まれる丸太材が豆腐を箸で突くように土中に消えていきました。その数は大変なものでした。校地一体が湿地のため止むを得なかったのでしょう。
  しかし、その上に葛飾商業高等学校は立派に育ちました。職員、生徒、地域の心がつくり上げました。

  学力は普通科に勝るとも劣らなかった●大嶽秀行(元本校教諭、保健体育)
  昭和38年(1963年)4月に都立志村高校から本校に転任し、1期生の2年時から担任することになりました。まだ未熟な私でしたが、真撃な生徒たちに支えられて、何とか担任としての仕事をこなし、無事卒業させることができました。
  草創期の生徒たちの学力は普通科の生徒に勝るとも劣らないほどでした。習熟度別クラス編成を行ったり、実力考査(英・数・国の3教科)を年に3回ぐらい実施し、学年で100番までを廊下に掲示して、生徒たちの学力と学習意欲の向上を図っていました。
  また珠算・簿記などの検定試験を受けさせ、より上位の資格を取得させました。クラス編成・実力考査については、記憶が少し薄れましたが、5期生ぐらいまで続いたのではないかと思っています。
  珠算・簿記などの検定試験への挑戦は、私の退職した昭和49年(1974年)の末まで脈々として続けられ、終礼のホームルーム時に、合格証書を一人ひとりに手渡したのをはつきり覚えています。
  次に生活指導面を振り返って見ると、草創期は生徒が素直で、まじめであり、余り手がかからなかったように思います。5期生ぐらいまでは、指輪やマニキュアをしている生徒は、ほとんど見かけませんでした。
  生徒会の中に週番委員会(これは1年時に小林先生が立ち上げ指導した)が設けられ、週番委員が、毎朝校門に立ち、遅刻の指導(教員も2〜3人出ていました)をしていました。
  遅刻者の人数は全校でせいぜい10人以下だったでしょう。その他、喧嘩・喫煙・校内暴力などは、ほとんどなかったように記憶しています。

  人生・学問のすばらしさに目覚めた●橋本喜一(1期生、都立葛飾野高校校長)
  第1期生として草創期の葛飾商業高校で学びました。多くの魅力ある先生方のお陰で、人生や学問のすばらしさに目覚めさせていただきました。
  昭和39年(1964年)3月、商業科を卒業したわけですが、人生をもっと深く知りたくて、大学では文学を学びました。現在、縁あって、近隣の葛飾野高校に勤務していますが、葛飾商業高校でのすばらしい先生方との出会いがなければ、教育界で仕事をしていなかったと思います。
  葛飾商業高校は私の人生に大きなカを与えてくれた母校です。それぞれの分野で活躍している同窓生たちも、おそらく同じ思いを抱いていることでしょう。
  草創期の思い出を少し述べさせていただきたいと思います。初代校長の山田市郎先生の毎朝5分間の講話が強く印象に残っています。よく「食と健康」の話をなさいました。「健康のため玄米を食べることは大変よいことである」と何度も何度もお話しされていらっしやいました。全校生徒が「山田校長先生=玄米」と思い込んでいたくらいです。
  また、先生は健康のために合気道をおやりになっており、体育祭の時に模範演技をなさいました。生徒だった私は山田校長先生に人間としての奥深さを感じていました。
  授業での思い出といえば、体育の時のバケツリレー。校庭が一応整地されてはいましたが、雨が降るとすぐに凹凸ができてしまい、地ならしをするために、生徒が一列縦隊で凹んだ部分にバケツで土を入れたりしました。自分たち生徒も学枚づくりを手伝っているのだという思いを抱きながら、皆で汗を流しました。
  修学旅行では瀬戸内海の小豆島を訪れました。その後、国語の時間に修学旅行の経験を短歌に詠むように指示され、私は「瀬戸内のオリーブ香る小豆島/一夜とまりて去り行く我ら」と作歌しました。今でもしっかり、この短歌を記憶しています。

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